2009年7月18日土曜日

敬愛して止まない二人の勇者



  チェ・ゲバラ   39才
  真田 幸村    49
  織田 信長    49才
  シャクシャイン  30代??
  石川 啄木    28才

  オレは今、66才。  これって、生き過ぎ!!



  文学を背負って時代に反抗して放蕩に彷徨った啄木は
  肺を患って28歳で逝ってしまった。
  後を追うように妻の節子さんも肺を患って逝った。

  哀しい啄木の人生と家族。。



  アイヌの英雄、シャクシャインは民族を救うタメに立ち上がり
  シャムに勝利の直前騙し討ちに合い惨殺された。

  映画『ブレイブ・ハート』を思い出す。



  人間五十年、化天[1]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
  信長が殊に気に入ったこの謡曲。

  50を待たず夢半ばで本能寺に消えた信長。

  それは彼の狂気と激しい気性が招いた末路。




  ゲバラと幸村は違う。
  理念に生き、その闘いの中で花と散った。

  ゲバラは近年であって、その生涯は細部に渡って知られている。

  幸村は、伝説的な英雄で謎の多い人物。


  オレはこの二人に果てしもなく惹かれる。
  憧れと理想をオレに植えつけた勇者。

  勇気と愛。  沈着冷静な思考、行動と決断力。
  捨てない諦めない生き方。



  信州木島平村に行った。
  若かりし幸村が躍動し活躍した場所と目と鼻の先。

  山荘が全焼して大阪に落ちて帰り、生玉で店を開いた。
  生玉神社の少し南へ下った所に小さな安居神社があった。

  散策の途中、初めてそこを訪れた時、オレは唖然とした。
  大きな石の碑に「真田幸村戦死跡之碑」
  店の近くにそんなのがあったとは。
  
  それから間もなく小さなログハウスを請け負った。
  それが和歌山県九度山の麓。


  戦いに一度も負けたことの無い幸村が、関が原の戦いで敗れた大阪方に組した事で、
  父昌幸と共に僅かな家臣だけを連れて行くのを許されただけで
  家康に九度山へ幽閉される。

  約10年、九度山での生活。
  その間、父の昌幸は病死。  死の床まで父昌幸は家康を呪ったという。

  歯も抜け生活費もままならぬ10年の歳月は時として失意に落ちた幸村。
  その中にありながら諸国の情勢を探り時の流れを見つめていた。


  大阪城から銀数貫を差し出され懇望され、九度山を発った時は家臣の数名。
  それが、大阪城に着いた時は数百に膨れ、


  大阪城の南に砦を築いた時は5000の部隊になっていた。

  試料が乏しい。
  何故、短期に幸村の元へ武将が駆けさんじたのか。

  幸村の魅力、人望とは、そして日本一の兵と家康に怖れられた強さは  

  冬の陣、夏の陣。  
  いずれも幸村の戦いは勝利した。  にも係わらず大阪方は崩壊していった。

  最後の決戦に、幸村は5千の部隊を菱形に密集させ
  茶臼山の家康本陣に突撃を敢行した。
  家康はその凄まじい攻撃に二度も自害を決意したといわれる。

  しかし、5千と10万近い兵力の差は如何ともしがたく、5千は散った。

  幸村は傷つきたどり着いたのが安居神社
  そこで傷ついた家臣の手当てをしているトコを襲撃されて首をとられた。



  信州から生玉へ、そして九度山へ
  何か幸村に招き寄せられたのでと錯覚する。

  諦めず捨てず、最後の最後まで戦ったゲバラと幸村。
  オレもそうありたいと、、、、

  齢、66のオレ。生き過ぎてきたのかな、、、、、。
  そやけど、オレの闘いはまだ続いてオレの心も肉体も未だ躍動して燃え続けている。

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